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アイメッセージインタビュー
≪ 2008年3月号 ≫アイメッセージインタビュー ~「(有)インターネットサービス」代表 中川秀彦さん

お客様の声  

ドリームの読者には、福山市にお住まいの方が多い。日ごろ運転しながら「エフエムふくやま(77.7MHz)」を聞いている人も大勢いるでしょう。あの放送の聞き手なら、「パソコンで遊ぼう、むつかしい横文字、専門用語はいっさい使いません・・・」とやさしい口調で語りかけてくる「なかさん」という男性の声を一度は耳にしているはず。その「なかさん」が、今回登場していただいた中川秀彦さんです。


○● 中川秀彦氏プロフィール●○

1962年生まれ 神戸市出身
関西学院大学法学部卒業 日興証券・外資系証券を経て「有限会社 インターネットサービス」を設立
*著書*
「証券マン社外秘日誌」
「経済リポートなかさんの基礎講座」
「戦艦大和が沈んだ日」
1997年より全国のケーブルテレビ局の人気番組「パソコンで遊ぼう」の講師をつとめる。
 

■ベトナムと日本を往復する忙しい日々■

 ラジオの「なかさん」の声は、身近に感じられますが、実際の中川さんは、少しとらえにくい人物です。「とらえにくい」という意味には二つあります。
 現在、ベトナムと日本を往復しながら仕事をされているため、面会できるのは日本にいる限られた時間という「とらえにくさ」。
 もうひとつは、日本ではパソコンの先生として自ら出演した番組を制作販売するインターネットサービスという会社の社長さん。
 ベトナムへ行けば現地の証券会社や学校の運営、そしてリゾート開発にいたるまで、合計6つもの企業や組織の運営にかかわる実業家。
 しかも、そうした経験を踏まえた講演会を開催する講師・・・というように活動範囲や知識の幅の広さからくる「とらえにくさ」です。しかし、中ぐぁさんのおっしゃることは明快です。



■いろいろな顔がありますが私の仕事は「教え屋」です■

 「人からよくあなたはいったい何屋さんですか? と聞かれます。一つの仕事を続けるのが当然と思っている人から見れば、私のようにいろいろな顔を持つ人間は理解しにくいのでしょう。しかし、これまで自分の興味や関心のおもむくままにやってきただけで、私の中ではすべて結びついているのです」と中川さん。
 あえて自分に肩書きをつけるとしたら、という質問には、「教え屋です」という答えが返ってきました。
 「パソコンや株式、経済にせよ私の関与してきた仕事の多くは、教えることにつながりまる」と。



■ベトナムに魅せられ移住を決意■

そんな中川さんとベトナムとの出会いは2年前。
 「実は、2年前に、できたばかりの浅口市の市会議員に立候補したのです。結果は惜しいところで落選しました。選挙後に再出発を期して妻とベトナムへ旅行したのです。それがベトナムとの出会いです。ところが行ってみたら、予想以上に住み心地のよさそうな国です。これまで海外は45カ国くらい行ってますが、その中でも一番いい国でした」。
 それ以来、ベトナムに通いつめ、「気がつけば一年の3分の2以上をそこで暮らすようになっていた」とおっしゃいます。
「すでに私の親父は向こうに移り住んでいます。いずれは、家族全員がベトナムへ移住して暮らすつもりです」と、それほどベトナムへの思いは強いのです。
 定年退職後、海外に移り住んで年金生活を送る・・・という話は、最近では珍しくはありません。しかし、中川さんのようにまだ学校に通っている子供さんをふくめて、家族全員で海外へ移住するという例は、珍しいでしょう。そこがどれほど住み良い国であっても「どうして?」という気がします。
 そうした生き方には、中川さんの過去の経験が大きく影響しています。




■証券会社で見たバブル経済期の日本■

 中川さんは昭和37年(1962)生まれ、今年46歳です。大学を卒業後、証券会社に勤務していました。その時期はちょうど、バブルがふくらみ、はじけた時期と重なります。
 「あの時期、株価の高騰とともに日本はそれまで手にしたこともないほどの富を一時的に得ますが、すぐに失いました。そしてバブルに浮かれているうちに日本人が美徳としてきた『恥』とか『責任』という大切な精神も失ったように思います。手段は問わず、とにかく金をつかんだ者が勝ち、という考え方が支配的になりました。それは個人だけではありません。私は証券会社にいたのですが、多くの企業が利益追求に夢中になるあまり、企業倫理や人としてのモラルさえ失った状態におちいったのです。」

">■阪神淡路大震災がその後の生き方を変える■
 
 結局、仕事に失望したことや、バブルの崩壊などもあって、中川さんも5年間ほどで証券会社を去ることになります。つぎに始めたのが、当時普及しはじめたパソコンやインターネットを利用したビジネスです。
 「美容室向けのPR画像をつくり、時間待ちの女性に見せようというものです。ソフトとハードをセットにして売りました。当時は神戸にいたので、市内の美容室をあちこち回りました」。
 しかしここでも、未曾有の体験をすることになります。阪神淡路大震災です。
 「あのときは、揺れるというより、ガツンと落ちるような強烈な衝撃でした。幸い、うちは半壊ですみました。近所には全壊した家
もあり、下敷きで亡くなった方もいました。遺体の収容作業も手伝いましたが、あれだけの数の遺体を見たのは、生まれて初めてです」。
 言葉で表現するのもためらわれるような凄惨な場面を目の当たりにすることで、人間や命に対する考え方も変わりました。
 このとき感じた「もしかしたら明日しぬかもしれない」と思いは、中川さんのその後の生き方を変える要因となります。
 中川さんが震災から逃れ、疎開するように奥さんの実家のある鴨方町へ移り住んだのは1995年。まさにその年は、画期的なソフト、ウィンドウズ95が発売された年で、それ以降、パソコンやインターネットが急激に普及したことは周知のとおりです。
 中川さんも神戸には戻らず、鴨方を拠点にパソコン関連のビジネスを展開し、順調に業績を伸ばしてきました。
 しかし、バブル崩壊後の日本という国に対する違和感、そして大震災という極限状態で経験した生に対する無常観。そうした思いがいつも心のどこかにあったことは否定できません。



■趣味のひとつは「海軍」。けれど戦争は嫌いです■

 そして、中川さんを語る上で忘れられないのが「海軍」というキーワードです。
 この平和な時代に「海軍?」と思われる方もいるでしょう。しかし中川さんは趣味のひとつとして「海軍」をあげるほどに、帝国海軍を愛してやまない人なのです。
 海軍をこよなく愛しているといっても、戦争好きの軍国主義者ということではありません。中川さんによると、昔の海軍には、魅力的な人物が大勢いたということです。戦争は壮大な人間ドラマを生み出しました。そうした海軍の姿が中川さんをひきつけてやまないのでしょう。
「海軍の提督などは、武士がそうであったように、恥や責任などをよくわきまえて、自分を律することにたけていました。それにひきかえ、今の政治家の恥知らずで無責任な態度にはがっかりします」と。
 中川さんがベトナムに魅力を感じ、そこへ永住することを考えたのは、自然環境が気に入ったというだけでなく、ベトナム経済の将来にビジネスチャンスを見出したからでしょうが、最近の日本に対する失望感もあるようです。
 そして、震災の経験から「明日はどうなるかわからない、今この時を精一杯生きよう」という、強い思いが一連の国道を後押ししています。



■ベトナムに大きなリゾートビレッジを■

今後の夢や計画をお聞きすると、「ベトナムに大規模なリゾートビレッジをつくる事業計画がありまして、そこの開発工事などを日本のゼネコンや商社と協力して進める予定ですが、その準備をしているのです」とおっしゃいます。
 日本経済の光と影を見てこられた中川さんが、新天地ベトナムでどのような活躍をされるか、これからも目が離せません。

 中川さんの活動内容については、代表を務めるインターネットサービスのホームページからアクセスできます。

http://www.b-b.ne.jp/page/koushi.html
 

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