福山に住んでいる方で「プレスシード」を知らない人はまずいないだろう。地元のニュースや地域情報を発信し続けるフリーペーパーだ。
福山備後地域で毎回12万部を発酵し、地域の人たちの生活に深く浸透するまでになった。
今回は、「日頃、取材することはあっても取材されることはない」とおっしゃる宮長社長にご登場いただき、仕事はもちろん、私生活についてもお聞きした。
◆そごう福山店の閉鎖がプレスシード誕生のきっかけ◆
「読者が、自分の興味や関心のあるところを好きに読んで、暮らしに役立ててもらえればいいのです。それがフリーペーパーの魅力ですから・・・」。
こう話すのは宮長昌子さん。現在、プレスシード社の社長であり、編集長を兼ねる。
「あんな新聞、すぐにつぶれてしまうよ」。
宮長さんたちが創刊した当初は、そんな陰口をたたかれたそうだが、もう7年が過ぎ、通巻225号(7/6現在)を数えるまでになった。
ここまで続けてきたことについては、「やはり、支援してくださった多くの読者と理解ある広告主の存在をヌキにしては語れません。うちのスタッフもがんばってくれたし、私も会社をつぶすまいと必死でした」と。
会社がなくなることのわびしさを知っているだけに、その思いは強かった。実は、宮長さんは7年前に閉鎖した「そごう福山店」にテナント店としてアパレルの販売店を出していたのだ。
そごうの閉鎖をきっかけに、自店も閉めざるを得なくなり、職を失う多くの人たちを見てきた。場所を変えれば、アパレル店の継続も不可能ではなかった。
しかし、彼女が次にチャレンジしたのが、フリーペーパーの発行なのである。
◆会社に毛布を持ち込んで徹夜同然の日が・・・◆
その当時、彼女の父親が福山の地元新聞社のオーナーを努めており、新聞発行を間近にみてきた。また、「高校時代から新聞記者になるのが夢で、短大時代は新聞研究会に在籍して、広告収入だけで運営するフリーペーパーの存在も知っていた」というほどだから、素地はできていた。
しかし、新聞づくりの実務経験があったわけではない。記事作成、編集、広告づくりと求められる実務の範囲は広く、広告の営業活動も欠かせない。
創刊当初は「会社に毛布を持ち込んで泊り込み、徹夜同然の日が1ヶ月続いた」という。こうして紙面づくりに四苦八苦する一方で、フリーペーパーの生命線ともいえる営業活動にも力を注いだ。
「最初は相手にされなくても何度も足を運ぶうちに、広告を出してあげよう、と言われたときは、ホントうれしかったですね」と当時を振り返る。
◆読者や広告主の感謝の言葉が大きな励みに。◆
広告がもらえたよろこびも大きいが、宮長さんたちスタッフの最大のよろこびは、記事や広告に対して、感謝の言葉をもらったときだ。
「プレスシードで紹介されて、自分たちのボランティア活動の輪が広がった」。「プレスシードの広告を見て家を購入し、今は幸せに暮らしています。ありがとう・・・」という読者の声。
そうかと思うと、孫の写真が載っているのを親戚に配るので10部ほどください、と会社にまでもらいに来るおあばあさん。と内容は様々であるが、そうした声が宮長さんたちを勇気づけ励ましてきた。
◆関心のあるところを好きに読んで、役立ててください。◆
しかし、好意的な読者だけではない。最近、読者アンケートを実施したが、「記事が少ない、広告が多すぎる」という厳しい声もあったという。宮長さんとて現状に満足しているわけではない。
「でも、記事を増すと、広告が割高なものになってしまいます。そのジレンマはいつもあります。これはフリーペーパーのもっている永遠のテーマですね。それと、プレスシードは誰をターゲットに出しているのとよくきかれるのですが、とくに読者層を想定していないのです。最初にも言ったように、関心のある部分を好きに読んで、役立ててもらえればいいと思います」。
◆仕事には厳しくても家に帰れば2児の母親。◆
20代でアパレル店のオーナーになり、30過ぎでフリーペーパーの新聞社を興し、編集も営業もやってのける女性である。行動派のキャリアウーマンを想像するが、写真でもわかるように、実際にお会いすると、「へぇーこの女性がホントに・・・」といいたくなるほど、チャーミングな人である。
だが、仕事に関しては安易な妥協を許さない厳しい一面をお持ちのように見受けられる。
21歳の若さで結婚し、2児をもうけるがやがて離婚。その後は、仕事一途に現在まで走ってこられたようだ。
「子育ては実家の両親にまかせっきりでした。上が高2の女の子、下が中2の男の子です。夜11時を過ぎると、必ずメールで「今日は何時?」と帰宅時間を聞いてきます。
私が帰ったら玄関まで迎えに出てくるし、学校の話などをしてくれるのです。ホントによく、すくすく育ってくれたと両親にはかんしゃしています」と子供の話をしているときは、どこにでもいそうな普通のお母さんである。
◆ネットを媒介とした情報提供にも乗り出す◆
そんな宮長さんに、今後の抱負をお聞きした。
「これまで印刷媒体を中心に情報提供、PR事業を展開してきましたが、今後は、インターネットなどを媒介としたPR事業が展開できないものかと試行錯誤しています。そのためネットワーク事業部というのをつくって、いま徐々に移行させているところなのです。
それとプレスシードの内容やサイズを見直して、何回かに1回という割合で、雑誌風のものを出すことも検討中です」。
プレスシード(Press Seed)とは、新聞を意味するプレスと種を意味するシードをつなぎ合わせた造語である。自分たちの発信する情報が種となり、それが成長し、読者の心に花を咲かせ、実を結んでほしい、という宮長さんたちの願いも当然こめられている。これからも、福山の人たちの心に「幸せの種」をまき続けていただきたい。

















