大江健三郎さんの本、共鳴できると言いたいとこだが、難しい。 こ難しい。もっと、素直に表現すればいいのに、どうして難しく表現するのと思っていました。
ご子息の大江光さんを特集する番組を見ました。 大江光さんは障害をもっておられるとエッセイで読んだことがあります。 生まれた当初、精霊流しに光さんの名前を書いて流したという。 生きておられる光さんの名前をですよ。 多分、背負いきれなかったのだと思う。
話は、特集の番組に戻り、光さんが朝食を摂っておられました。 ナイフとフォークで目玉焼きをいただかれていました。 大江家は、朝っぱらから首にナフキンをしてナイフ、フォークで食事を摂られるんだなとびっくり。 ノーベル賞受賞前のお話です。メニューは普通の洋風朝食です。 私が印象に残っているのは、障害をもっている光さんに対して、手っ取り早いからスプーンをわしづかみにして召し上がれとすることなく、光さんを尊重してナイフ、フォークでの朝食をされていたことでした。 この一家は信じれるな、大江健三郎作品は信じれるな、理解できるまで繰り返し読みたいなと思いました。 あるいは、大江さん本人ではなく嫁さんが丁寧な人だったのかもしれない。 私の心がぱさぱさしたとき、思い出すようにしている光景です。
紫の美しい着物。 義母が私たちのチャペル(もちろん、チャペルは夫の母校のです。)での式に着てくれ、あまりの美しさに「お母様くださいね」と口にしてしまったら、「あなたに合うよう、今、手を入れさせているの」と細長い三角の布切れを三箇所に貼り付けてあでやかな着物にかわっていた。三十年が過ぎ、当時の義母と同じ年になり、着物が派手すぎるようになったから細長い三角の布切れを取って原型のままに。 細長い三角の布切れは、もったいないから帯をつくりその中にはめ込みました。
私モノモウスのお話ではありません。藤間紀子さんのお話です。 目標は、藤間紀子になる。 「藤間紀子さんのように」ではなく、そのものになる。 ちなみに、藤間紀子は、松たかこさんのお母上です。なぜ呼び捨てかというと、目標にしすぎて親近感さえ発生してきたからです。
物を大切にする姿勢が美しいなと。 もちろん、もちろん、無形文化財の職人さんの仕事かもしれない。布切れも、特別な呼称があるものでしょう。それを差し引いても、大切にするのが当たり前とはいえないですよ。
前述の大江さんの奥方にしても、立派な方の奥方だからとか、専業主婦でいらっしゃるからできることとは、片付けられないですよ。
私たちは、さまざまなバックグラウンドを抱えているが、その状況なりに人を大切にし、物を大切に出きるはず。 恵まれた環境だからと、一言で片付けないようにしましょう。
ちなみに、モノモウスの本名は紀子です。 藤間紀子著「わたしの着物生活」を近くに置き、えいやっと念をかけています。 福山で藤間紀子にすれ違ったら、それは念がかなったモノモウスです。えいやっ。
※このシリーズは、『モノ申す』さんの生活の知恵の提案集です。なんでもいいからご意見いただければ幸いです。
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